My Sweet Melody

常に何かしらのおたくをしているわたしの話

ペール・ギュント@KAAT 神奈川芸術劇場 7月11日(初日公演) 観劇メモ

内博貴主演舞台「ペール・ギュント」を観て来ました。 2014年に上演された「ミュージカル『ザ・オダサク』 愛と青春のデカダンス|KAAT 神奈川芸術劇場」以来の神奈川芸術劇場であり、内博貴でした。

神奈川芸術劇場での千秋楽に観るのがとても楽しみです!

これ以降は公演内容や演出等について詳細に記載していますので、ネタバレが嫌な方はご覧にならないでください。

第一幕 ステージ

ボロボロの工場のような空き家のようなセットが組まれていて、3本の柱が隅にセットされています。 隅といっても舞台上の四隅の内の三つなので、センターブロック以外の席から観ると柱が邪魔で演者が見えないことがありました。 のちに、下手前面の柱は折られてセットの一部になるので、多少観やすくなると思います。 そして、ステージの下手後方に生バンドがいます。 ガラクタの山の中に、楽器がちゃんとセットされていて演奏しながら演者と触れ合うこともありました。 博貴がDJブースにいる方の横で柵に肘を置きながら、ふんふん、るんるんと音に合わせて身を任せているのはとても気持ち良さそうでした。 また、加藤和樹さんや堀部圭亮さん(だったと思いますが、誤っていたらすいません)が、演奏を始める曲振りをしたりする場面もありました。 生なのでその時のお芝居に合わせていましたし、きっと毎公演様々なアドリブがあるだろうし、公演ごとに色んな表情がありそうです。 ペールが自分と対決し、葛藤するシーンなどで使われる薄いビニールシートの使い方が絶妙で、2014年に観た田口淳之介主演の「フォレスト・ガンプ」(田口淳之介主演×G2演出『フォレスト・ガンプ』が上演 - 2014年3月 - 演劇ニュース - 演劇ポータルサイト/シアターガイド)での布の使い方と似ているなと思ったら、同じ舞台美術の方(二村周作さん)でした。 基本的にはこの平面のセットで物語は進行していき、第一幕では大きな変化はありません。

第一幕 ストーリー

ペール・ギュント(内博貴)がまだ20代の青年で好き放題やんちゃしていた時代から始まります。 膝小僧の見える半ズボンでステージを駆け回り、嘘ばかりつくペールを博貴が天真爛漫に演じています。 衣装もさることながら、表情や話し方がこの時代は子供っぽかったです。 なので、指をくわえてきょとんとした表情の博貴が可愛いこと可愛いこと! とはいえ成人した大人の男でもあるので、結婚式前夜の花嫁と致したり、トロル(妖精)の長の娘と致したり、森の中で4Pで致したりします。 出会ってすぐに甘い言葉を吐き、女性陣を落としていく色男ぶりについて特に説明はいらないかと。 姿や声や仕草の美しい内博貴という存在がペールを何よりも魅力的にしていました。 また、そんなペールを深い愛情を持って叱り、導く母オーセ(前田美波里さん)がまたすごい。 ペールがいない時の庇いぶりや淋しげな様子とペールを目の前にした時の叱りようや優しげな様子、この落差がすごかったです。 第一幕で死んでしまうのですが、長い台詞も含めて見逃せないですね。 正直なところ、博貴と前田美波里さんがすごすぎて、他の演者を観るには目が足りない…。 また博貴については特に、ペールが自分とは何なのか?ということについて葛藤するシーンがすごく熱が入っていて、とてもよかったです。 熱烈に手に入れたがったソールヴェイのそばに居ることを拒否してまで、自分とは何なのか?を探しに行こうとするペールの衝動が伝わってきました。

幕間

15分しか休憩がないので、お手洗いは二階のお手洗いを利用することをお勧めします。 また二階下手側には軽食が取れる場所があり、アルコール含めた飲み物と簡単な食べ物があります。 ちなみに水も冷たいものと常温のものとがあって選ばせてもらえたのがとてもありがたかったです。 特に申し出ることなく、お店の方から言ってくださったので、その心遣いが嬉しかったです♡

第二幕 ステージ

幕間で下手前方の柱が折られ、柱の前に水溜りが出来、上手では砂がまかれ始めます。 そんなに細くはないので砂というより砂利に近いのかもしれません。 この砂はそのままずっとステージ上にあって、初めは砂漠に見えますし、最後には荒廃した町の道路に見えますし、その見せ方がすごいです。 ペールが旅する様々な場所に見えるように、家具や車なんかが登場しますが、そういった装置よりペールの衣装でガラッと雰囲気が変わる気がします。 異教徒の格好などは本当に高貴な人ようで、その格好を着こなしているので周りの人々が預言者だと信じこむ理由もわかるような気がします。 そのスタイルの良さは老いたペールを演じても変わらず、腰が曲がっていてもその高貴な精神を感じさせてくれました。 ちなみに学者の格好から老人の格好になる際に抱えられながら下半身丸出しになったり、上半身裸になったりするので、その瞬間、客席が揃って双眼鏡をスッと装着してたのはすごかったですw 舞台装置という点では、最後の最後に天井が降りてきます。 天井にはこの「ペール・ギュント」のポスターにも描かれている生命維持装置のような根のようなものがぶら下がっています。 それが降りてきます。 その真下で新しい命が生まれるので、何の暗喩なのかなぁと思っていました。

第二幕 ストーリー

何よりも手に入れたかった純粋な女性ソールヴェイを待たせてまで自分とは何なのか?を探しに出るペールが、ほとんどの時間、その目的を忘れているw 単なるほら吹きなので、口は回るが、頭がいいわけじゃないせいで、どこか詰めが甘い。 そのせいで女性陣とはイイコト出来ても、財産や地位は保てない。 この辺りの憎めなさが博貴自身とも重なってペールという人に対する愛しさが増します。 最後に死への案内人に他の人と混ぜられてボタンにされて死ぬのを拒み、自分が凡人でないことを証明してくれる人を探すというシーンに入ります。 この辺りがちょっといきなりだったような…ペールが特別な何かを目指していたとは受け取っていなかったので、なんでその死に方が嫌なのかよくわからない。 まあ、その死に方を避けるため、ああでもないこうでもないと、過去に自分に関わった人たちにペールは凡人ではないと証明してもらおうとする訳です。 凡人ではない証明として、ものすごい罪を重ねてきたと証言させようとするけれど、みんなそうは言ってくれない…。 結局は待たせていたソールヴェイからペールはソールヴェイにとって特別な何かであると証言してもらい、死の案内人から逃れるというラストです。 金や地位や快楽を介さないで、ペールというその存在を愛してくれる人がいるという確認を第一幕、第二幕通じてしてたんだなと思います。 第一幕までは母オーセであり、第二幕ではソールヴェイであるのかな。 自分とは何なのか?という問いに対しては、あるがまま生きているその姿が自分なんだと私は受け取りました。

カーテンコール

特に博貴が話すような形の挨拶はありませんでした。 (声を出さずに「ありがとうございました」と言っていたようには見えましたが) 演者の方々がお辞儀をする形で挨拶されて終わりです。

まだチケットは絶賛発売中です!一度いいのでぜひご覧ください!

エンタメチケットの予約・購入は「チケットぴあ」で