マキアレイベル クリアエステヴェール
このたび、アジャイルメディア・ネットワーク株式会社さまから、マキアレイベル「薬用クリアエステヴェール」および「薬用プレストパウダー」をサンプリングでいただきました。
いただいたのは薬用クリアエステヴェールはハーフサイズ、薬用プレストパウダーは現品で、一週間使用してみました。
自然な肌を作る美容液ファンデーション
薬用クリアエステヴェールの中でも今回使用したのはナチュラルというカラーです。
その他に4色のカラー展開があり、自分の肌の色に合わせて選べるようになっています。
私にはナチュラルがぴったり肌になじむカラーでした。
頬と鼻に米粒大くらい薬用クリアエステヴェールを置いて伸ばしていくと、目元から顎までをカバーできました。
美容液ファンデーションというだけあって非常に伸びがいいので、残りの額も少量でカバーすることができました。
伸びがいい上に、健康的で自然な肌に見えるよう肌を整えてくれますね。
毛穴が全くないようにみっちりと隠すという訳ではないので、ファンデーションで覆っているという感覚はしなかったです。
きめ細かなふんわり肌へ導くプレストパウダー
ファンデーションをのせてから、プレストパウダーをのせていきます。
専用のケースにリフィルとパフをセットし、そっとリフィルの表面を撫でるとペールベージュのパウダーがのります。
肌の上を滑らせるようパウダーをのせていくと、ファンデーションによって潤っていた肌が一時的にマットになります。
この時に自然な肌から毛穴の目立たない肌へと変化します。
ひとつひとつのアイテムだけを使用するより、二つを合わせて使用する方がより理想的な肌を作ることができそうです。
いきなりセットを購入する前に、この二つのアイテムを試すことができるセットもありますので、トライしやすいですね。
このたびはサンプリングありがとうございました。
ペール・ギュント@KAAT 神奈川芸術劇場 7月20日(千秋楽公演) 観劇メモ
ペール・ギュント神奈川千秋楽おめでとうございます! 初日よりもメリハリのある表現になっていて、客席の反応を受けられる程に余裕が出ていました。 ステージの上に乗った内博貴という俳優を甘やかさず、殺さず、最大限その魅力を発揮できるよう引き出した白井晃さんの演出素晴らしかったです。
ペールギュント神奈川千秋楽で拍手が鳴りやまないので、挨拶に出てきたキャストの中で座長が「白井さん!」とお呼び出し。舞台に上がるも「ありがとうございました」しか言わない白井さんのグダグダぶりに、座長から「神奈川千秋楽を終えて残りの兵庫公演もがんばります」との挨拶がありました。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 20
ペールギュント神奈川千秋楽 挨拶を終えた座長がキャストの方と肩を組みながら、何度も拳をグッと握りながら「やった!やりきった!」と言っていそうな噛み締め方をしていたのがとてもグッと来た。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 20
ペールギュント神奈川千秋楽 母オーセが亡くなり横たわるオーセに泣きながらすがりつくペール。オーセから離れ、客席に向き直ったペールの頬にはまだ涙が残っていて、その顔の美しいこと!内博貴の美しい顔に涙が散っていて、もう言葉を失ったね…。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 20
ペールギュント神奈川千秋楽 あの大量の台詞、幾度となく行われる衣装替えと場面転換、青年期から老年期までの演じ分け…大変でないはずがない。カーテンコールでは一言も話さず、声を出さずに感謝の言葉を述べるだけだった博貴が舞台袖に向かいつつガッツポーズをするくらい許されると思う。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 20
ペールギュント神奈川千秋楽すごかった…!皆さんの入り込みようはもちろん、母の死に号泣するペールは圧巻でした。兵庫公演もがんばってね!
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 20
これ以降は公演内容や演出等について詳細に記載していますので、ネタバレが嫌な方はご覧にならないでください。
第一幕 ストーリー
少しずつステージのあちこちに増えていく演者たちのなかに内博貴もいます。 生まれたばかりの赤ちゃんが出てくるのですが、この赤ちゃんがペールのような、そうでないような…誰なのかは語られないです。 ペールはこの赤ちゃんが入れられた保育器を見つめて、何も言わないまでも、ここからステージが始まることを印象付けていました。 ステージ中央に母オーセ役の前田美波里さんとペールがスタンバイして、パッとライトが当たった時の輝き方がすごかった。 ペールの無邪気で子供らしい表情の内博貴はまぶしくてキラキラして見えます。 近い距離で見ているとその顔立ちの美しさに吸い込まれそうになる…! 結婚を祝う宴のシーンで除け者にされ、ステージ中央奥の壁にもたれて拗ねるペールの静かなオーラもすごかった。 同じシーンでは、加藤和樹さん演じる鍛冶屋のアスラックの挑発に乗って酒を浴びるように飲むペールが見られます。 ペールには父親譲りの酒癖の悪さがあることを示すとともに、内博貴の過去もふと頭を過ぎったシーンでした。 初日より大げさに笑えるように変えてあるなと思ったのは、花嫁のイングリと熱く愛し合って、薄いビニールシートで出来たシーツから出てきたペールはズボンが膝まで脱げていたところ。 今まで男女が愛し合っていたばかりという生々しさも、少年がヤンチャしていたらうっかりズボンが落ちてしまったかのような無邪気さも、両方矛盾せずに存在していたのがおかしかったです。 それは他のシーンでも感じました。 トロルに会う前に、服をたくし上げたり、豊かな肉体を強調するポーズを取ったりする山の女たちに、逐一、鼻の下を伸ばして誘われるがまま、それぞれの女に引き寄せられるのが笑えるくらいわかりやすいポーズでした。 初日では山の女たちの誘いに少し戸惑いながらベッドになだれ込んでいましたが、千秋楽には「何人でも抱いてやる!」と言わんばかりの豪快さでベッドに飛び込んでました。 群がる女たちを跳ね飛ばしてベッドから起き上がる時にどこか遠慮がある感じなのが、内博貴らしいなと思いました。 他にもトロルとのシーンでは、三上市朗さん演じるドブレ王に挨拶する前にトロルの王女と身支度整えたり、トロルたちが踊っているのを馬鹿にして、それをトロルの王女に指摘されると即座に手のひらを返したり、ということもありました。 ここでドブレ王からトロルの教え「自分らしさに満足しない、あるがままに生きる」は後半のボタンにされるシーンで出てくるのですが、この時点ではあっさりした言い方でした。 俺は俺自身と名乗る自分と対峙するシーンでも、ボタンにされるシーンで再度出てくる「自分のしたこと(罪)からは逃れられない」というのが出てきます。 まっさらに新しい自分を作り出したり、取り入れたりしても、そこまでに自分がしてきたことが良くも悪くも自分を作る。 その呪縛からは逃れられない、ということが出てきます。 このシーンではちょっとしたアクションというか、身のこなしを要求されます。 しゃがみこみながらターンする身のこなしが軽やかでさすがジャニーズ!と思ってしまいます。 第一幕のクライマックスであるオーセを看取るシーンでは、その前段にあるオーセと村の女性のシーンが効いています。 前段のシーンではペールが小さい頃の思い出の品を振り返り、村の女性がその品をゴミ扱いし、さらにペールを貶すのですが、オーセは猛反発します。 直前までオーセ自身がペールのことを嘆いていたにも関わらず、です。 この手のひら返しぶりがまさに親子だなぁと思うし、母が我が子のことを悪く言っても他人からは言われたくないという心情なのかなとも思います。 このシーンが入ることにより、ペールがホラ吹きで女性にだらしなくヤンチャなだけではない気持ちになっていきます。 ペールがオーセとソールヴェイから深い愛情を注がれる理由を観客が理解していくのには重要なシーンです。 前段のシーンを踏まえて、子どもの頃よくオーセがペールにしたというお話の読み聞かせを、今度はペールがオーセにします。 まるで子どもの頃に戻ったかのような無邪気さで御者になりきり、馬車を走らせてパーティ会場に向かいます。 ペールが物語を進めれば、オーセが答えるのですが、徐々に声が小さくなり、最後に「少し横になっているよ、会場に着いたら教えておくれ」と言って目を閉じます。 それがオーセの最後の言葉になります。 単純な話ですが、死への旅立ちとパーティ会場へ馬車で向かうのは重ね合わせて受け取っていいのかなと思います。 過分ながら馬車でパーティに向かう物語で想像できるのがシンデレラしかありませんが、子ども向けの物語には似たような物語が他にもあるんだろうと思います。 ペールはオーセの亡骸に縋り付いて号泣します。 本当に大粒の涙を流して泣くので、立ち上がって旅立つことを宣言するペールの目元や頰は涙に濡れて、スポットライトの光でまばゆいばかりに輝きます。 あまりの美しさと神々しさに双眼鏡越しでも後ろに下がりそうになりました。
幕間
下手の柱は切れ目から天井へ吸い込まれる形で回収されていました。 舞台袖から小さい台車に乗せられて倒れた状態の柱が出てきて、ちょうど初めてが折れて倒れたようにセッティングされていました。 しかもこの折れた柱は2つの部分に分かれていて、長い方は預言者のシーンで盗まれてきた財宝を置いたり、船のシーンで船の甲板になったりしていて、短い方は途中まで長い方と同じ役割を果たしつつ、ボタン職人のシーンで老いたソールヴェイが座る椅子になっていました。
第二幕 ストーリー
第二幕が始まると生バンドの皆さんがアロハシャツのような格好にチェンジしている! 第一幕は手術着だったはずなので、舞台装置に合わせて変えていているんですね。 どのシーンだったかちょっと記憶にないんですが、演者から問いかけられてピアノの方の反応を待つコミカルな場面がありました。 「▲▲なの?」→無反応、というやりとりを繰り返していてシュールな雰囲気がまた笑えました。 次に、内博貴自身がJohnney's webでの連載でも触れていた預言者のシーン。 預言者ペールに心酔している女性信者アニトラが心酔した反応で「あぁ〜ん」と喘ぐのですが、濁点が付きそうなほど濁っていて大げさで思わず笑ってしまいます。 客席が笑っているのはもちろん、内博貴自身も笑ってしまってセリフが震えてますw そこに客席はさらに笑いを誘われます。 この辺りは演者にも余裕があって、すごいなと感じる次第です。 また、船乗って故郷に帰るシーンから老いたペールを演じる内博貴ですが、すごく上手くて、見ていると内博貴が続けて演じているのか一瞬わからなくなります。 口調の勢いの良さやホラ吹き加減でちゃんとペールだとわかるんだけど、歳をとったこともわかる動きになっています。
カーテンコール
初日同様に声を出さずに「ありがとうございました」と挨拶していました。 舞台上から白井晃さんを呼ぶと、客席からわさわさやってくる白井さん。 舞台に上がれるか、ちょっと心配そうに見守る内博貴w サッと舞台に上がった白井さんは「ありがとうございました」以外に何も話してくれなくて、演出してみてどうかとか、千秋楽おめでとうございますとか、何か話してくれるかと思いきや、「ありがとうございました」しか言わないww ズッコケる会場の雰囲気を察して、内博貴から「神奈川公演も無事千秋楽を迎えることができました。ありがとうございます!まだ兵庫の公演もいくつかありますので、引き続きがんばりますので、よろしくお願いします」と挨拶がありました。 やりきった実感が出てきたのか、舞台袖に戻りながらキャストの方と肩を組み、噛み締めるようなガッツポーズをしていたのが印象的でした。
ペール・ギュント@KAAT 神奈川芸術劇場 7月11日(初日公演) 観劇メモ
内博貴主演舞台「ペール・ギュント」を観て来ました。 2014年に上演された「ミュージカル『ザ・オダサク』 愛と青春のデカダンス|KAAT 神奈川芸術劇場」以来の神奈川芸術劇場であり、内博貴でした。
ペールギュントすごく面白い。ペールに惚れる理由がないくらい、今のところ単なるクズだけどw 自分と対峙するペールの葛藤を内博貴がよく表現してる
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
前田美波里さんの演技が素晴らしくて、ペールをけして見捨てず肯定し続けて、最後の最後までペールを後押しする母親だった。幕間が終わってからの後半どうなっていくのか楽しみ…!
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
ペールギュントすごくよかったー!内博貴すごいわ。老いてなおなお失われない気高さね…。ずっと探し続け自分とは?に対する答えは初めから明らかだったのね。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
お芝居に素直に笑えたし、博貴の歌も聴けたし、ペールギュントという舞台に満足感しかない。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
何の取り柄もない大ボラ吹きのペールから女性が絶えない理由を説明する必要がない。内博貴が演じているというだけでなんの説明もいらなくなる存在感すごいわ。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
バンドがステージに載ってるのすごくいいね。演者がバンドもやっていたフォレストガンプやバンドがステージに小道具投げ込んでたブラッドブラザーズを思い出した。
— ファジー (@fuzzy104) 2015, 7月 11
神奈川芸術劇場での千秋楽に観るのがとても楽しみです!
これ以降は公演内容や演出等について詳細に記載していますので、ネタバレが嫌な方はご覧にならないでください。
第一幕 ステージ
ボロボロの工場のような空き家のようなセットが組まれていて、3本の柱が隅にセットされています。 隅といっても舞台上の四隅の内の三つなので、センターブロック以外の席から観ると柱が邪魔で演者が見えないことがありました。 のちに、下手前面の柱は折られてセットの一部になるので、多少観やすくなると思います。 そして、ステージの下手後方に生バンドがいます。 ガラクタの山の中に、楽器がちゃんとセットされていて演奏しながら演者と触れ合うこともありました。 博貴がDJブースにいる方の横で柵に肘を置きながら、ふんふん、るんるんと音に合わせて身を任せているのはとても気持ち良さそうでした。 また、加藤和樹さんや堀部圭亮さん(だったと思いますが、誤っていたらすいません)が、演奏を始める曲振りをしたりする場面もありました。 生なのでその時のお芝居に合わせていましたし、きっと毎公演様々なアドリブがあるだろうし、公演ごとに色んな表情がありそうです。 ペールが自分と対決し、葛藤するシーンなどで使われる薄いビニールシートの使い方が絶妙で、2014年に観た田口淳之介主演の「フォレスト・ガンプ」(田口淳之介主演×G2演出『フォレスト・ガンプ』が上演 - 2014年3月 - 演劇ニュース - 演劇ポータルサイト/シアターガイド)での布の使い方と似ているなと思ったら、同じ舞台美術の方(二村周作さん)でした。 基本的にはこの平面のセットで物語は進行していき、第一幕では大きな変化はありません。
第一幕 ストーリー
ペール・ギュント(内博貴)がまだ20代の青年で好き放題やんちゃしていた時代から始まります。 膝小僧の見える半ズボンでステージを駆け回り、嘘ばかりつくペールを博貴が天真爛漫に演じています。 衣装もさることながら、表情や話し方がこの時代は子供っぽかったです。 なので、指をくわえてきょとんとした表情の博貴が可愛いこと可愛いこと! とはいえ成人した大人の男でもあるので、結婚式前夜の花嫁と致したり、トロル(妖精)の長の娘と致したり、森の中で4Pで致したりします。 出会ってすぐに甘い言葉を吐き、女性陣を落としていく色男ぶりについて特に説明はいらないかと。 姿や声や仕草の美しい内博貴という存在がペールを何よりも魅力的にしていました。 また、そんなペールを深い愛情を持って叱り、導く母オーセ(前田美波里さん)がまたすごい。 ペールがいない時の庇いぶりや淋しげな様子とペールを目の前にした時の叱りようや優しげな様子、この落差がすごかったです。 第一幕で死んでしまうのですが、長い台詞も含めて見逃せないですね。 正直なところ、博貴と前田美波里さんがすごすぎて、他の演者を観るには目が足りない…。 また博貴については特に、ペールが自分とは何なのか?ということについて葛藤するシーンがすごく熱が入っていて、とてもよかったです。 熱烈に手に入れたがったソールヴェイのそばに居ることを拒否してまで、自分とは何なのか?を探しに行こうとするペールの衝動が伝わってきました。
幕間
15分しか休憩がないので、お手洗いは二階のお手洗いを利用することをお勧めします。 また二階下手側には軽食が取れる場所があり、アルコール含めた飲み物と簡単な食べ物があります。 ちなみに水も冷たいものと常温のものとがあって選ばせてもらえたのがとてもありがたかったです。 特に申し出ることなく、お店の方から言ってくださったので、その心遣いが嬉しかったです♡
第二幕 ステージ
幕間で下手前方の柱が折られ、柱の前に水溜りが出来、上手では砂がまかれ始めます。 そんなに細くはないので砂というより砂利に近いのかもしれません。 この砂はそのままずっとステージ上にあって、初めは砂漠に見えますし、最後には荒廃した町の道路に見えますし、その見せ方がすごいです。 ペールが旅する様々な場所に見えるように、家具や車なんかが登場しますが、そういった装置よりペールの衣装でガラッと雰囲気が変わる気がします。 異教徒の格好などは本当に高貴な人ようで、その格好を着こなしているので周りの人々が預言者だと信じこむ理由もわかるような気がします。 そのスタイルの良さは老いたペールを演じても変わらず、腰が曲がっていてもその高貴な精神を感じさせてくれました。 ちなみに学者の格好から老人の格好になる際に抱えられながら下半身丸出しになったり、上半身裸になったりするので、その瞬間、客席が揃って双眼鏡をスッと装着してたのはすごかったですw 舞台装置という点では、最後の最後に天井が降りてきます。 天井にはこの「ペール・ギュント」のポスターにも描かれている生命維持装置のような根のようなものがぶら下がっています。 それが降りてきます。 その真下で新しい命が生まれるので、何の暗喩なのかなぁと思っていました。
第二幕 ストーリー
何よりも手に入れたかった純粋な女性ソールヴェイを待たせてまで自分とは何なのか?を探しに出るペールが、ほとんどの時間、その目的を忘れているw 単なるほら吹きなので、口は回るが、頭がいいわけじゃないせいで、どこか詰めが甘い。 そのせいで女性陣とはイイコト出来ても、財産や地位は保てない。 この辺りの憎めなさが博貴自身とも重なってペールという人に対する愛しさが増します。 最後に死への案内人に他の人と混ぜられてボタンにされて死ぬのを拒み、自分が凡人でないことを証明してくれる人を探すというシーンに入ります。 この辺りがちょっといきなりだったような…ペールが特別な何かを目指していたとは受け取っていなかったので、なんでその死に方が嫌なのかよくわからない。 まあ、その死に方を避けるため、ああでもないこうでもないと、過去に自分に関わった人たちにペールは凡人ではないと証明してもらおうとする訳です。 凡人ではない証明として、ものすごい罪を重ねてきたと証言させようとするけれど、みんなそうは言ってくれない…。 結局は待たせていたソールヴェイからペールはソールヴェイにとって特別な何かであると証言してもらい、死の案内人から逃れるというラストです。 金や地位や快楽を介さないで、ペールというその存在を愛してくれる人がいるという確認を第一幕、第二幕通じてしてたんだなと思います。 第一幕までは母オーセであり、第二幕ではソールヴェイであるのかな。 自分とは何なのか?という問いに対しては、あるがまま生きているその姿が自分なんだと私は受け取りました。
カーテンコール
特に博貴が話すような形の挨拶はありませんでした。 (声を出さずに「ありがとうございました」と言っていたようには見えましたが) 演者の方々がお辞儀をする形で挨拶されて終わりです。
まだチケットは絶賛発売中です!一度いいのでぜひご覧ください!